マレーシアは多民族国家として有名な様に、多様な人種と異なった宗教を信仰する人々が共存している。これは現地に到着してからも直に感じる点であったことは間違いない。
その中で私は一つ疑問を感じた。
まず、昼食を食べていても校内を歩く人々を見ても同じ人種の人々と行動を共にしている人が多いと感じた。この疑問に対し、
昼食を共にした中国系マレーシア人の子に質問をしてみた。
すると、
マレーシア人の中にも英語を話すことができる人とできない人が存在する。言語の壁が異なる人種との関わりを困難しているのでないか。
ということだった。
現地に着く前は、
マレーシアは異なる人種が共生している国だ!
と感じていたが、実際は共生というよりも共存という意味合いが強いと感じた。
同じ空間で生きている、ではなく、
同じ空間で存在している、という印象である。
(共生の意味も、共存の意味も私自身の見解のため心悪く感じた人がいましたらお詫び申し上げます。)
話す言語が違うことや、共通語の英語を話すことが困難であることによって自分が関わる相手も異なる。
日本では言語によって関わる相手が異なるという経験をすることは極めて少ない。
マレーシアに来て初めて感じた言語の重要性と、自分と異なる人種の近くに存在する意味。
言語の壁が関わる相手にも影響をもたらしていることを強く感じたと同時に、異なる人種の人々が一つの言語をもとに意思疎通を可能にする英語の重要性を直に感じる事象であった。
加えて、
異なる言語、文化、宗教、価値観を持つ人々が共生することは難しい。
マレーシアという同じ空間の中で、それぞれの言語、文化、宗教、価値観を大切にしているにも関わらず共存できているのは素晴らしいことであるということも同時に感じる今日この頃であった。
ナイトマーケットの異世界感と強烈な匂い、熱気ある人々は味わうにここクアラルンプールが匹敵だ。
左右に広がる屋台街を歩き終わるのに1時間弱かかったがどの店もとても印象的であった。
あいにく私は勇気を振り絞って食べ物に手を出すことはできず何の変哲と言ったら語弊があるが、
日本のスーパーでも買うことができそうなオレンジを7個をRM10で買った。
私が住んでいる地域ではあんなにも人が何百メートルにも渡りごった返すことはないから、
とても新鮮である。
毎週水曜日開催のナイトマーケット。